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 平成30年07月30日掲載

〔 Vol.03 : B-52「その1」 〕

 

1960年代横田で見ることができた最大の機体である B-52各型を紹介します。
B-52は、当時、米ソ冷戦の立役者であり、横田でも航法訓練等で立ち寄ることがあり、1965年頃までは見ることができました。現在でも見ることができるB-52型ですが、ここで紹介するB-52型とは全く運用が異なり、ベトナム戦以降で通常爆弾の搭載も可能とした改良型となっています。外観上の特徴は核爆弾爆発時の反射熱を防ぐために、胴体下面のみが白く塗装され、ベトナム以降に採用された迷彩塗装等とは異なります。

 
❖ ボーイング B-52G 57-6487 ストラトフォートレス {1964年 横田基地}

写真は、横田R/W18側からの着陸で、国道16号線の内側、当時は茶畑と蚕畑が広がっていました。B-52Aから1962年最後に生産されたB-52H型まで計744機で、最も多く製造されたのがこのB-52G型193機製造されました。
このG型から外観上垂直尾翼が低くなったのと、エンジンがJ57からJ75に替える計画でしたが開発日程上 -F型と同じエンジンで、主翼を全面的に変更し、軽量化、搭載燃料(インテグラルタンク化)が増加されています。G型の殆どは、1992年のソ連邦が無くなった戦略削減協定でリタイアーし、この機体も1991年でアリゾナの砂漠(AMARC)行きとなっています。B-52型は、以降現在でも、すべてがエンジンをターボフアン(TF33)化し、1962年までに102機生産されたB-52H型のみが運用されており、2050年まで運用される予定です。

 
❖ ボーイング B-52D 56-0682 ストラトフォートレス {1965年 横田基地}

横田R/W36で着陸したB-52D型で、通常使用されることは少ない、巨大なドラッグシュートが使用されています。この機体は、1978年アリゾナの砂漠(MASDC)行きとなり、スクラップされました。

 
❖ ボーイング B-52F  57-0039 ストラトフォートレス {1965年 横田基地}

横田 R/W18で着陸するB-52F型で、機首右側に書かれている大きな部隊マークは、B-52型が最初に配備された93rd Bombardment Wingのマークです。1971年まで使用され、砂漠(MASDC)へ行っています。

 
❖ ボーイング B-52D  56-0598 ストラトフォートレス {1964年 横田基地}

1964年11月 の夕方、横田R/W36側から着陸するB-52D型です。この機体も1976年まで使用され、スクラップ(MASDC)されました。

 
❖ ボーイング B-52F  57-0046 ストラトフォートレス {1965年 横田基地}

1965年4月横田基地R/W18から離陸するB-52F型で、横田で見ることができたB-52の離陸は、すべて重量が軽いこのような離陸でした。1969年まで運用(MASDC)の記録があります。

 

❖ ボーイング B-52D  56-0676 ストラトフォートレス {1964年 横田基地}

B-52型でも最も有名な機体の一機です。記録では、ベトナム戦に参加したB-52型は30機以上が撃墜等されていますが、この機体が1972年12月18日ラインベッカーⅡ作戦の北ベトナム上空でMIG-21に迎撃された際、尾部のレーダー標準0.5in機関砲で初めて撃墜した経緯があり、撃墜の記録は、その後に、他の1機(B-52D 55-0083)があるだけです。この機体は、1957年製造のB-52D型で1983年10月配備されていたグアムのAndersen AFB から、最初に配備されたワシントン州のFairchild AFBにフェリーされたのがB-52D型の最終フライトとなり、現在でもFairchild AFBで、撃墜マーク付きで展示されています。

 

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