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 平成30年09月17日掲載

〔 Vol.05 : RB-47H 〕

 

1960年代の一時期 横田基地にも配備されていたボーイングB-47シリーズを紹介します。B-47 ストラトジェットは、1947年に初飛行後2000機以上も生産された戦略爆撃機ですが、爆撃機としては朝鮮戦争時も含め一度も実戦に参加することはなく、1965年には退役し、後継機B-52に代わりました。
しかし、電子偵察型(ELINT)のRB-47Hは35機が生産(内3機がERB-47H型)され、1967年末に退役しRC-135型に代わりましたが、横田にも配備(55th Strategic Reconnaissance Wing)されていました。 
RB-47H型は、ヨーロッパ配備のRB-47H(AF 53-4281)が1960年、作戦中バレンツ海でミグ19に撃墜され、横田配備のRB-47H(53-4290)も1965年4.28日本海でミグ17と交戦したこともあり、そのオペレーションは米軍でのトップシークレット扱いとされ、通常は夜間に10時間程度のミッション、基地の司令官も知り得ない扱いとされ、機体の写真は撮りにくかったことを覚えています。当時は、ソ連上空でのU-2 撃墜事件、極め付きは、1969年、厚木基地所属の非武装のEC-121M機が日本海上空でミグにより撃墜(乗員及び上瀬谷通信所要員31名死亡)される等、偵察機に関する重大事項が多発していた時代でもありました。

最初に、横田配備(55th SRW )のRB-47H及びERB-47Hを紹介し、後半部分で、横田のWB-50Dに代わり一時的に配備されていたWB-47E 気象観測型及び、当時グアムに配備されていた、爆撃型のB-47E等を順に紹介します。

 
❖ ボーイングRB-47H  53-4284 ストラトジェット {1965年 横田基地 }

2032機生産されたB-47シリーズの最後に生産された電子偵察機で、RB-47Hの32機とERB-47Hが3機で、機首の大型レドームが特徴でした。写真は1965.9横田基地R/W 36で着陸後、西側誘導路をタキシング中で現在の国道16号線沿いからの撮影です。

 
❖ ボーイングRB-47H  53-4290 ストラトジェット {1965年 横田基地 }

1965年4月28日 元山港(Wonsan)沖80mileの日本海でMiG-17の迎撃を受け被弾、横田基地へ戻り緊急着陸した際の撮影です。このときのレポート及び写真が、後になって一部公開されましたが、Co-Pilotによる尾部のレーダー標準20mm機関砲で反撃しMiG-17の1機を撃墜(確認不能)、本機も後部胴体左側に被弾し穴が開き、後部胴体タンクが損傷燃料漏れ等を起こし、エンジン数基が停止した状態でかなりの被害でしたが火災が起きなかったこともあり、6名の乗員とも横田に無事、緊急着陸できました。 写真からは、通常汚れることがない後部胴体にある排気孔状のものからオイル等が漏れている形跡が見えること、フラップは通常の位置でなく、アプローチシュートも使用しないで、通常以上の速度で接地し、そのまま滑走路上で停止したため、滑走路閉鎖状態となりました。なお、横田から緊急発進したF-102Aの2機は、この直後に東側誘導路に着陸しており、このRB-47Hも損傷が大きかったため、その後、横田基地で解体、二度と飛ぶことは有りませんでした。このときのRB-47Hは改修型であり、ELINT機能は相手側設備に沿った改造が常に必要となることから、1961年以降、一部の機体で大改修(Mod44 )が行われていました。外観からは、胴体中央部右側下方にパイロンを設け、ELINT機器及びアンテナを追加した大型ポッド(ALD-4 Pod)を装備し、“Silver king ” 改修型と呼ばれています。

 
❖ ボーイングRB-47H  53-4291 ストラトジェット {1964年 横田基地 }

前項の緊急着陸状態時との比較のため、ほぼ同じ撮影ポイント(下がった位置)からの、別のRB-47Hの着陸で、前項の機体で述べた相違点が確認できると思います。なお、この撮影時(64年6月)は横田R/W36側で現在は基地内となっていますが写真も撮り易く、中央にバス標識が見えますが、西砂川バス停として親しまれていました。

 
❖ ボーイングRB-47H  53-4301 ストラトジェット {1966年 横田基地 }

1966年2月 横田R/W36側から離陸する RB-47Hで、胴体右下方にALD-4 ELINT Podを装備したSilver king改修型です。翌年(1967.3)にはMASDCへ行って廃棄されています。 RB-47H型は、従来型の爆弾槽の位置に、電子操作要員(EWO:Electronic warfare officer)3名が乗る与圧コンパートメントを装備したもので、クルーは防音装備も不十分な劣悪な環境で12時間にも及ぶミッションもあり、ワタリガラス(Crows or Ravens)とも呼ばれていました。 最悪の事例では、バレンツ海でミグから銃撃を受けた際に、機首の乗員3名は脱出できたが、EWO要員3名は脱出できなかったことでした。その後の、RC-135等では旅客機と同様なキャビンであり問題は無くなったこと、3機のみ製造された、ERB-47H型では、装備の自動化などでEWO要員は2名のみとなったこと等です。

 
❖ ボーイングERB-47H  53-6245 ストラトジェット {1965年 横田基地 }

1965年11月、横田R/W36から離陸するERB-47H 型で、RB-47H型との主な違いは、機内の電子操作要員EWOが3名から2名になったこと等です。 B-47の離陸は、J-47エンジンに水噴射を行い推力を上げることから、このような黒煙を上げて離陸します。

 

❖ ボーイングRB-47H  53-4287 ストラトジェット {1965年 横田基地 }

1965年5月、横田R/W18から着陸する、RB-47H ALD-4Pod付き改修型です。B-47シリーズはL/D(グライダー並みの揚抗比)が20程度程あり、抵抗が少なく翼面荷重も高いため、着陸速度は180ktに達します。巡航高度から降下する際には、胴体の後方ギアだけを降ろし抵抗を増やす方法ができたこと、またこのアプローチ時に使用するこの直径16フィートのドローグシュート(Drogue chute)は、アプローチスピードを維持すために使用されるスロットルを、T&G等の場合でも、アイドルから離陸パワーまで20秒間必要とされる、エンジント特性を補う役目もあるとされています。

 
❖ ボーイングRB-47H  53-4287 ストラトジェット {1965年 横田基地 }

最後は、前項と同じ機体ですが、横田R/W18側付近で、エンジンテストを行った時のもので、点検のため、すべてエンジンカウリングが取り外されており、J-47エンジン本体が良く見えています。

 

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