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 平成31年03月01日掲載

〔 Vol.10 : F-104 スターファイター(その1) 〕

先日50年前の百里基地でのF-104Jの一部を紹介したこと、またF-4EJも近く見られなくなることから、そのF-4の一世代前、ロッキード/三菱 F-104J / DJ スターファイター / 栄光 の現役時代の写真を整理しましたので紹介します。F-104は、1986年に最後に残った那覇の部隊が解散し、残った最後の無人標的機も1997年には無くなり、全機航空自衛隊から姿を消しました。 ロッキードF-104は、最初の原型機XF-104が1954年に初飛行、小型軽量の機体に大出力のエンジンで多くの世界記録を樹立、日本で最後の有人戦闘機とも言われ、またスターファイターの名からも究極の宇宙戦争での主役のイメージだったことで、私の子供時代からの、憧れの飛行機でした。短い直線翼の主翼前縁は非常に薄く(0.41mm)カミソリの刃とも称されました、そのスピードは、1966年11月3日入間での東京エアショーに合わせ、東京―大阪間の最短飛行時間 (同距離の串本-大島間で高度17,000m)で10分21秒、対地速度2,295Km(M2.08)の記録をF-104J(76-8699)機で実施する等、社会での盛り上がりも相当なものでした。F-104シリーズは、世界で2,500機以上がロッキードだけでなく、西独、カナダ、イタリア、オランダ、日本の三菱等で生産され、使用国も世界で15カ国もありました。日本の三菱関連では、ライセンス生産機で160機、他ノックダウン機、完成機輸入分を含め、計230機が生産等され、201空から207空の各飛行隊で運用されました。

最初紹介するF-104(その1 )では、未だカラーが少なかった時代であったことから、配置された部隊マーク等が分かるカラー写真を主とし、その後は各部隊、撮影場所等に分けて紹介したいと思います。

 
❖ F-104J 76-8684 206sq {1973年頃 百里基地 }

1965年百里基地が完成し最初に配備された部隊、7空団の206飛行隊で1978年11月まで運用されました。マークは青いシェブロンに梅のマークで、撮影は百里基地、東側の誘導路です。

 
❖ F-104J 36-8540 207sq {1970年頃 松島基地}

百里基地開設時に206sqと供に新節された部隊で赤いシェブロンに梅のマーク、写真は百里の代替飛行場でもあった松島基地の航空祭での展示です。この7空団207飛行隊は沖縄返還に伴い1972年11月、百里基地から那覇基地へ移動し、83飛行隊(南西航空団)の傘下となり、マークのシンボルも梅から南十字星に変りました。

 
❖ F-104J  76-8707 207sq {1970年代 百里基地}

207飛行隊の那覇基地移動後の機体で、部隊マークが南十字星に変更されたほか、那覇基地が海に面していたことからの塩分による腐食を防ぐため、無塗装であった外板部分が、防錆目的のグレーに塗られました。

 
❖ F-104J 36-8524 205sq {1970年代 小松基地}

6空団.205飛行隊、1965年小松基地で編成されたF-104 5番目の飛行隊で1981年まで運用されました。マークは途中から変わりましたが能登半島を模したデザインとされています。

 
❖ F-104J 36-8550 202sq {1970年代 百里基地}

F-104 2番目の飛行隊として1964年に新田原基地で編成された5空団 202飛行隊で、F-104 初のアラート任務に就いた部隊でした。マークは、赤と黄色のVマークです。

 

❖ F-104DJ 36-5018 204sq {1970年代 那覇基地}

5空団新田原基地204飛行隊、マークは青と黄色のVマークです。

 
❖ F-104J 46-8611、46-8560 APW {1980年代 岐阜基地}

岐阜基地 航空実験団 APW(Air Proving Wing)所属機で、岐阜基地航空祭での撮影です。

 
❖ UF-104J 46-8592(APW){1990年頃 名古屋空港}

F-104Jの最後の戦闘機部隊、那覇の207飛行隊は1986年に解隊されましたが、その後、飛行可能な機体があることから、米軍のQF-104A  High Speed Droneを参考に三菱重工で試作、改造、当初 XQF-104Jと称された機体です。この、機体は1989年に初飛行した三菱の試作機、改造1号機で、標的用の無人機への改造ですが、最初の2機のみが、この有人運用も可能なUF-104Jとして改造され各種試験に使用されました。 その後無人機UF-104JAとして12機を改造、1997年まで硫黄島基地で運用され、航空自衛隊の全F-104は消滅しました。写真は、三菱重工で試験中の機体ですが、その後実験航空団へ引き渡され、試験終了後UF-104Jの2機は、無人機ドローンUF-104JAに改修されました。

 
❖ F-104J 5空団 {1980年頃 百里基地}

最後に、1980年代百里基地でのF-104J 最後のころ、移動訓練で撮影できた第5航空団新田原基地の202、204飛行隊の一部を紹介します。このときは通常形態とは異なる装備、増槽タンク4本装備、或いはタンク無し、等が見られ、また機体塗装も当時毎年行われていた、戦妓競技会参加用の特別塗装機が見られたことで、最も印象に残るF-104Jとなりました。

 

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