トピックス

記事一覧 トップページ


 平成31年02月13日掲載

〔 Vol.05 : 50年前の百里基地 〕

最近百里基地へ行く機会が増えました。2019年日本で唯一残ったF-4ファントムの部隊が消滅真じかとのことで、世界的にも評判で海外のマニアも多く見かけます。50年前は百里基地が発足し、最初に配備された部隊、7空団の206飛行隊(アオ梅).207飛行隊(アカ梅)のF-104J/DJが盛んに飛んでいた時期でした。当時の百里基地は文字通りの「陸の孤島」(百里開拓地)であり行き難く、基地の反対側(東側の基地施設、正門のある側)へ行くことは余り有りませんでしたが、滑走路沿い西側は、柵はばら線程度で写真も撮り易く、紹介するF-104Jの離陸写真等は、すべて135mm / 200mmレンズで1969年に撮影したものです。

 
❖ 百里R/W03からの離陸で、当時のF-104の離陸は、翌幅が小さいこともありますが、F-104の操縦性は良かったと言われており、このような編隊離陸が多かったと記憶しています。
 
❖ R/W03からの着陸で、F-104Jはこのようなドラッグシュート使用が原則でした。
 
❖ R/W21南風での着陸で、着陸直後ですが、ドラッグシュートが開くのは最近の見慣れたF-4J等とは異なり、F-2の様に滑走路半分程度で開くことが多かったと思います。
 
❖ 百里R/W21 北側からの着陸です、現在基地内の道路となっていますが、滑走路端、現在でもイメージがあると思います。
 

PAGE TOP ▲