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 令和元年10月06日掲載

〔 Vol.09 :「ダグラス C-133 カーゴマスター」

前回のトピックスVol.07、及びアルバムVol,09で立川基地でのC-124 グローブマスターⅡについて紹介していますが、ほぼ同時期に見ることができた、当時の最大のタービンエンジン輸送機C-133カーゴマスターについて整理してみました。

ダグラスC-133カーゴマスターは、1955年までに448機が製造されたダグラスC-124グローブマスターⅡの後、試作機無しで1956年に初飛行、1961年までにC-133A型を35機、B型 15機が製造された戦略輸送機(Strategic Airlifter)です。当時は冷戦のピーク時期であり、B-52が配備されていた戦略空軍航空部隊(92nd Bomber Wing等)に、ICBMも追加配備され始めた時期 (→92nd Strategic Aerospace Wing等に変更 )であり、大型ICBM ( Atlas、Titan、Minuteman等)の輸送が必要となる主目的で開発されました。

外見上は、当時既に量産が始められていたロッキード社のC-130戦術輸送機と同様で、胴体延長型、大型エンジン装備型とも見えますが、ダグラス社には経験しない多くの問題が起こり、計50機のみの生産で終わり、運用中に10機が事故で失われ、未亡人製造機(widowmaker)とも言われていました。 但し、C-124型等と異なり、C-133型には兵員輸送の目的はなく、前記10件の事故記録でも、死者はクルーのみで最大10名 ( 通常では4~6名 )で、C-133の運航もC-5Aギャラクシーが運用を始めた1971年には全機飛行が停止されました。

性能的には優秀であり、1958年にFAIの公式記録として、ペイロード53.48tで高度10.000ft、また、非公式とはなりましたが、1959年に立川基地からカリフォルニアのトラビス空軍基地まで、無給油で、8.288kmを17時間22分で飛行する等の記録を作りました。

大馬力(7.500hp)のT-34ターボプロップエンジンとプロペラ先端からの超音速流に伴う振動がstress corrosionとして発生、機体寿命10.00時間の設定があったこと、プロペラの電気ピッチコントロールの問題、機体失速特性等の問題がありましたが、1970年2月6日に起きた、C-133最後の大事故(10機目の事故でC-133B  AF59-0350がネブラスカ上空23.000ftでの巡航中、胴体部分の疲労破壊による空中分解が発生 )がきっかけで、翌年に全機運用停止となり、グローブマスターⅡ(1974年)と比べても早い引退となりました。

1971年に米空軍のC-133が運用停止となった以降は、MASDCでの保管となっていた機体も、1974年には殆どがスクラップとなりました。その際、少数の機体が民間へ払い下げられ、登録されN136AR等、Flying Hospitalへ改造された機体もありましたが、FAAはC-133に対するCertificationの発行は行わず、例外的にアラスカ州内で行われる規格外のパイプライン部品の輸送の場合等に、Government Orderによる飛行として、C-133の飛行を許可していました。N199AB(C-133A  AF56-1999 )はアンカレッジ空港をベースに2006年頃まで飛行していた最後のC-133で、2008年に展示の目的で、フェリーフライトしたのが、C-133のラストフライトとなりました。

次に、個別の写真で、相違等説明します。

 
❖ ダグラスC-133A(JC-133A)msn44706  AF54-136 {1970年頃、横田基地}

C-133型は異例とも言える、試作型が製造されなかった機体ですが、この量産2号機のみは、製造直後の1956年6月から1961年の8月の間、ダグラス社へ管理が委託され、ユーザーの要求に応じたデモンストレーション機として運用された経緯があり、エドワーズ基地で展示されたこともあり、JC-133A型として各種改造等も含め使用されたと思われます。 また、その後1966年から1969年の間はNASAへ貸し出され、NASA 928のコールサインでアポロ計画のモジュールの投下試験にも使用されていました。写真撮影時は、ドーバー基地のMAC、436MAW所属で、直後の1971年にはC-5に交替しているため、短期間の所属であったと思われます。

 
❖ ダグラスC-133A(JC-133A)msn44706  AF54-136 {1970年頃、横田基地}

同じ機体の機首のアップですが、JC-133A時代の改造部位と思われますが、機首側面の静圧孔(丸で囲われたスタテックポート)が通常2個のところ4個装備されている違いが分ります。

 
❖ ダグラスC-133A  AF54-138 {1971年、横田基地}

横田基地R/W36からの着陸です、436MAW所属機です。

 
❖ ダグラスC-133A  AF54-141 {1967年頃、立川基地}

立川基地R/W01側でR/Wバックする、436MAWのC-133A型です、ドーバー基地の436MAWは1966年に編成されたばかりであり、機首左側面のカーゴドアが確認できます。

 
❖ ダグラスC-133A  AF54-144 {1970年頃、横田基地}

横田基地R/W36から離陸する、436MAW所属機です。

 
❖ ダグラスC-133A (C-133B ) AF57-1613 {1965年、立川基地}

製造された35機のC-133A型の、最後の3機 (AF57-1613,57-1614.57-1615) のみは、エンジン及び後部カーゴドアはB型と同じで、クラムシェルドアが採用された機体で、後になりC-133Bと呼称されたとのデータがあります。写真は、立川基地青梅線側(R/W01)で、着陸後ランウェイ・バックを行い最南端の誘導路へ入るためのタキシング中です。 長くタキシングする場合等、必要とされない外側エンジンを停止し、機首上部に観視員が出て誘道する等は良く有りました。 所属はMATS 1501ATWトラビス空軍基地所属で1966年1月に廃止された部隊です。

 
❖ ダグラスC-133B  AF59-524 {1965年、立川基地}

立川基地、砂川側から離陸のため旋回するC-133B型で、大型のクラムシェル型の後部カーゴドアで違いが分ります。

 
❖ ダグラスC-133B  AF59-526 {1964年、立川基地}

立川基地青梅線側での撮影で、R/W19からの離陸、MATS 1501ATW所属機です。

 
❖ ダグラスC-133B  AF59-529 {1968年、立川基地}

立川基地、R/W01側、南端西側の誘導路からのタキシングで、大型機のみが駐機又は誘導路として使用した誘導路です。所属はトラビス基地で、1966年1月に1501ATWから交代した60th MAW(MAC)です。

 
❖ ダグラスC-133B  AF59-527 {1967年、立川基地}

C-133B カーゴマスターの主車輪バルジ部及びエンジン部のアップで、給油中です。

 
❖ ダグラスC-133B   AF59-527 {1967年、立川基地}

同じ機体、C-133Bカーゴマスター、前方機首部分、出発準備中です。

 
❖ ダグラスC-133B   AF59-530 {1965年、横田基地}

立川基地、砂川側からの着陸でC-133B 1501ATW所属です。この機体は1970年2月6日ネブラスカ州上空、23.000FTでの巡航中、機首左サイド・カーゴドア付近から発生した疲労クラック(11in)を起点に前部胴体が破壊(17ftの裂け目)し墜落しています。この事故をきっかけに、C-5が運用開始されたこともあり、翌年、全てのC-133の運用が停止されました。

 
❖ ダグラスC-133A N199AB  ( AF56-1999) {1980年、アンカレッジ空港}

Cargomaster Corp. が所有していたC-133A  N199AB(56-1999)で、アンカレッジ空港をベースにパイプラインの輸送等に使用、2006年頃まで飛行していました。2008年にカリフォルニアのトラビス基地(Jimmy Doolittle Museum)で展示することになり、アンカレッジ空港を出発、2008年8月20日 最後にマッコード基地からトラビスまで飛んだのが、C-133最後の飛行となった記念すべき機体です。

 

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